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レオナ・ウェストのアイデンティティ描写について真剣に考えてほしい

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「あるがままですっ!」

 

(ネタバレします。)

 『劇場版プリパラみ~んなでかがやけ!キラリン スターライブ!』(ひびきのコース)を見た。

 ライブシーンてんこ盛りの本編はそれはもう、かわいいの大洪水で、終始ニヤニヤしながら観てた、、、のだけど、ラストシーンでレオナの今後の描写についてすごく不安になったので、映画の感想というよりもそれについて書きたい。

 

 映画の最後の最後で、新シリーズの予告っぽいシーンが流れる。バイクに乗っためが兄ぃとレオナが夜の裏通りで待ち合わせて、それぞれ着ていたライダースーツの胸元のジッパーを一気におろす。その下は素肌で、、、「覚悟は出来てるよ」、レオナは言う。そこで、新シリーズで登場する「男子プリパラ」にレオナが参加することがほのめかされる。

 

 レオナは、男の子なのにプリパラに入ることが出来る「プリパラの神がゆるした」アイドルとして描かれてきた。レオナがはじめて男の子だとわかるのは登場間もない1期18話。その時点ですでに子ども向けアニメの登場人物としては異例だったけれど、ドロシーとのミラーツイン(対照的な双子)としての性質が強調されている上に、女の子にしか入れないはずのプリパラに何の障壁もなく入れていたこともあって、性別も双子の性質の一部として、それ以上の意味については想像の域を出なかった。

 そこから大きく展開したのがTVアニメ2期74話。この回でレオナと『プリパラ』は子ども向けアニメとして、あるいは現代のストーリーテリングとして、画期的な一歩を踏み出すことになる。

 強力なライバルとして王子様風の男性のルックスで登場した紫京院ひびきが、実は男装の麗人を演じている女性であることが判明する。74話では、それが大スクープとしてプリパラ界隈が大騒ぎになる中、ひびきに関心を寄せたレオナが、すでにスターだったひびきが出演する舞台の現場に忍び込み、自身の抱える疑問をぶつける。

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 この回では最初から、周囲が興味本位でひびきの女装をもてはやす中、レオナがひびきの男装について真剣な関心を抱いていることが描かれる。レオナはひびきと対面して早々、「どうして男の人の格好をしているんですか?」とストレートに疑問を投げかける。それに対しひびきは、舞台上で疑問に答えると言って、レオナを舞台のけいこの相手役に指名する。

 衣装のドレスに着替えたレオナは、セリフになぞらえて再び同じ疑問をひびきに投げかける。それにひびきは「しょせんこの世は嘘とまやかし、どこに問題がある?」と応えたあと、「君はどうなんだい?」と聞き返す。そこではじめてレオナは、ひびきに対して抱えていた疑問が、そのまま男の子なのに女の子の格好をする自分自身に対して抱いていた疑問なのだと気付く。そして、台本を投げ捨て自分の言葉で「あるがままですっ!」と力強く宣言する。

 このストーリーを画期的といわないことが出来るだろうか。レオナにとってプリパラで女の子の格好をすることは、それが自分の「あるがまま」だから。レオナの性のアイデンティティについての悩みとその確立の物語が、つまりトランスジェンダーの子どものアイデンティティの問題がはっきりとテーマになっている。

 このテーマを正面から描こうとしたスタッフの真剣さは、比較として別の性を「演じる」キャラクターであるひびきを配置する念の入れようからもわかる。また、一連のやりとりのあとのレオナのセリフ「私とひびきさん、似てるのかなって思ったけど、違うところもあるみたい」は性の多様性への理解が垣間見える。ふたりがカナダ出身(今回の劇場版では「パンクーパー」といっていた)という忘れかけられた設定も、この回のためだったのかと勘ぐってしまう。そして「あるがまま」というのが、放映当時『アナと雪の女王』の「ありのままで」を想起せずにはいられなかったことも、このテーマを描く上で意識されているに違いない。

 この回以降、レオナはまたプリパラで女の子として活躍していく。しかし、それ以前の双子の片割れとしての彼女とは少し違って映る。はじめはドロシーの意向に従ってしか行動できなかった内気なレオナは、だんだんと自分を表に出していくようになる。そして所属するユニット「ドレッシングパフェ」の中で、時には他のふたりを強引に引っ張っていく意志の強さを持つキャラクターに成長していく様子が描かれていく。レオナが多くの友達とともに、「あるがまま」の自分を発揮しながら成長していく様子は、この74話があるからこそ感動的に見える。

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 そんな感じでしばらく安心して見ていたTVシリーズ、それが3期130話で再びレオナの内面に(突然)焦点が当てられる。

 これまで主人公らぁらが中心となって育ててきたプリパラの女神ジュリィが、育ててきた甲斐あって元の女神の姿を取り戻し、妹ジャニスに女神の座を譲って消えることになる。別れを惜しむジュリィがアイドルひとりひとりに別れの言葉をかける中で、レオナに対して「レオナ、一生守る人が決まっているなんて、あなたは幸せな子ね。」と言葉を贈る。レオナは微笑んで「はい!」と答える。

 この別れのシーンは感動的なシーンなだけでなく、そこにいた全員が神アイドルを目指すという目標に向かって決意を新たにする重要なシーンなのだが、このレオナへの言葉はその唐突な印象から一部の間で物議を醸した。

 レオナが「一生守る人」、それまでこれといって大きな伏線がなかった(と思われる)からには、ドロシー以外には考えにくい。はじめは守られる立場だったレオナが、やんちゃなドロシーを守る側になるまでに成長した、その証・承認としての女神からの言葉とすれば理解はできる。それでもやはり、双子とはいえ兄弟姉妹を「一生守る」と中学生が「女神」から宿命付けられるのは重すぎるのではないか。また、レオナはすべてを理解し納得した上で返事をしているように見える。レオナの中で一生守る人がすでに決まっているというのはこれからの物語にどういう意味をもたらすのか。疑問は見る人に投げかけられたまま、シリーズは今まさにクライマックスを迎えている。

 そこにきて冒頭の劇場版のシーンを見せられたのだから不安にならずにはいられない。自分はこれまでレオナが自分の性に向き合い、プリパラがそれに対して素直になれる場所として描かれてきたことに満足して、つまりレオナが自分らしくいられることだけで満足してしまっていたのではないか。そのせいで、それ以上のレオナの個性や、大切にしていること/もの、将来についての願望などが十分に描かれてこなかったことに気付けていななかったのではないか、とも思えてくる。レオナには他のアイドル達と同じように、自身の個性を活かすことで夢を叶えていって欲しい。そのときのレオナの個性とは?夢とは?あらためて考えるとこれまでのストーリーから答えを導くのは難しい。

 身体は男の子でありながら女の子として生きることを選んだレオナが、素晴らしい友達に囲まれて幸せに成長していく様子は、いわゆる「優しい世界」であって、これからもレオナについて描くのであれば、中学生のレオナが成長の過程で向き合っていかなくてはいけない様々なことが避けられないテーマになってくる。だから必ずしも、レオナが「男子プリパラ」に参加することが悪いとは思わない。けれど、74話があったからこそ、レオナが自分の性にどう向き合っていくのかについて丁寧に描いて欲しい。これはもう個人的な希望でしかないけれど、このことは作品全体に通底する「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」につながる大事なテーマだと思う。