深淵?いいえ、シャラポワです。

観劇レポート(ですよ、一応)

フェスティバル/トーキョー10 『こうしておまえは消え去る』
構成・演出・振付・舞台美術:ジゼル・ヴィエンヌ
にしすがも創造舎


※以下ネタバレ注意。


いっしょにとれーにんぐ

 幕開けである。森の奥、ただならぬ様子で男が歩いてくる。まるで樹海に迷い込んできた自殺志願者のようである。男はゴミを拾ったり、落ちている枝をよけたりし始める。死に場所の準備であろうか。しかしこの男、純白のアディダスのスウェットが妙に輝いている。
 今度は女が入ってくる、ただならぬ様子で。女も自殺志願者であろうか。アディダスが片付けたあたりの地面に女は腰掛ける。アディダスはその背後から近づき、、、そして、この二人がただならぬ様子で始めるのは、準備体操、である。この二人はは自殺志願者などではなかった。少なくともただの自殺志願者ではなかった。アディダスは体操のコーチだったのだ。二人は森の中に体操の練習をしにやってきたのである。柔軟体操がゆっくりと進む。アディダスはそれをサポートする。女は体操の選手なのであろう。非常に柔軟な身体がそれを物語る。なんとおどろおどろしく、なんと健全な光景が繰り広げられるのであろうか。


『      』

 そうはいっても、安藤美姫モロゾフコーチ的な、近親相姦にも似たなにかを感じるのは曲解ではあるまい。純白なアディダスが変態でないわけがない。柔軟体操が終わると、徐々にレッスンは本格的になっていく。女はアディダスに支えられながら倒立する。女が逆立ちをするたびに、ぴったりとしたスポーツウェアがペロッとめくれて尻が露わになる。それが繰り返される。観客は違和感とともに思う、「この格好、体操の格好じゃないんじゃないか。。。」。この女が体操の選手でないとすると、この男は体操選手じゃない身体の柔らかい女に森の中で体操のレッスンをするとんでもないアディダスということになる。しかし、倒立が終わると宙返り的なレッスンがはじまる。これはさすがに体操選手じゃないと出来ないだろう。やっぱりこれはただの体操のレッスンだったのだ。ほっと安心である。


シャラポワ状態!』

 そうこうするうち、霧が立ちこめる。ここは森の中、それも致し方あるまい。アディダスは霧の中に消える。女はスニッカーズ的なものを手早く食べると、ひとりでレッスンを続ける。その様子は踊っているようだ。ダンスや芝居を見ていて、歌える人間か踊れる人間が出ていればあとはどんな内容でもそれなりに楽しめる。霧の中で女が踊っている。やがて女の身体に変化が現れる。女のスポーツウェア越しに、いつの間にか乳首の位置がはっきりと確認できるのである。そして観客は気付く、この女はシャラポワだ、と。衣服の上から乳首の突起が確認できる状態を「シャラポワ状態」と呼ぶのはもはや常識である。女は体操選手などではなかった。女が着ている動きやすそうだが体操には違和感があるこの格好は、そう、テニスウェアだったのである。


『いっしょにすりーぴんぐ(BDでは湯気が消えます)』

 観客がすべてを納得したのもつかの間、シャラポワは霧に包まれてゆく。それはもちろん、タイトルである「こうしておまえは消え去る」を思い起こさせる演出だが、一方でテニスウェアの卑猥さに気付いてしまった観客を戒めるためのものである。霧はおっぱいを隠す。もはやおっぱいどころか、シャラポワの身体が完璧に見えなくなっている。それでもまだ霧は濃く、濃くなってゆく。客席の隣に座っている人の顔もおぼつかないほど濃い霧が立ちこめる。隠しすぎである。


腐女子歓喜

 ここでまさかの展開が待っている。霧が晴れるとそこに現れるのは、シャラポワではなく、ド変態アディダスでもなく、ビジュアル系ファッションに身を包んだイケメンであった。誰?
 もう一つ、舞台手前に、人が死んだまま朽ち果てて、土くれと化したかのような(しかしそれはただの土山と枝にも見える)ものが新たに置かれている。イケメンはその土に手をかけ、嘆くようなそぶりを見せる。そこにアディダスが登場する。この人物が登場するときはなぜかいつもただならぬ体である。シャラポワは土くれと化してしまったのだろうか。


『現実?いいえ、ケフィアです。

 アディダスはイケメンがシャラポワをレイプしたとかそんなようなことを消え入りそうな声で叫ぶが、切り立ち込める森の奥深くで若い女にテニスウェアを着せて、体操のレッスンをしているような男の言葉に説得力はない。それからのアディダスはイケメンをビール瓶で殴る、素手でまた殴る、倒れた相手を蹴るなどひどいやりようである。このシーンは非常に言葉少ななこの作品の中で台詞が多く用いられ、かつとても具体的な内容をもつだけに印象的である。台詞とアクションの両方があまりに具体的なので、今までの霧に包まれたような意味深さとギャップを感じるシーンでもある。アディダスはせっかく真っ白だったアディダスを血で汚してしまいショックを受けたのか、またただならぬ様子で霧の中へ消えてゆく。謎を残したままイケメンは土くれと化したシャラポワの上に折り重なるように倒れて(おそらく)死ぬ。これもまた寓意なのだとすれば、娘を彼氏に取られていく父親のシーンであろうか。それともこの作品はこのシーンまでに通じるサスペンスストーリーだったのであろうか。どっちにしろ、すごく意味深な割にあまり深い意味を感じないまま、作品はクライマックスを迎える。


『ドラマティックネタばらし』

 答えはまた唐突に与えられる。ファンタジーであることが明らかになる。シャラポワは土くれになどなっていなかったのだ。ちゃんと生きていたのである。土くれはただの土くれであった。死んだイケメンを見下ろして静かにシャラポワが歌い上げる歌は、今回の物語のテーマを素直に歌い上げる。「私は体操選手の才能があったけれど、そうはならなかった。だって私は若い頃、カバエワよりもカブラエワよりもかわいかったんですもの。」彼女は体操選手ではなくテニスプレーヤーになった。なぜ、カバエワ?カブラエワ?それは彼女がシャラポワ!だからである。舞台は闇に包まれる、霧ではなく、本当の、暗転である。


『引退』

 コーチは体操界から身を引いた。代わりに始めたのはアーチェリーである。体操で鍛えた強靭な上半身はさぞかしぶれずに弓を引くのに役立つに違いない。彼は同じ森の中で、木にかけた的を射って見せる。妙にメカニカルなアーチェリーの弓が異様な存在感を放つ。そこに一羽の鷹(ホンモノである!そういえば暗転後舞台と客席の間には薄い布が張ってあった。)が現れる。コーチはアーチェリーを構え、るのではなく、デジカメを構えて、タカを狙うが、そんなへタレにタカが射落とされるはずもなく、悠々と飛び去って行く。今作渾身の「オチ」である。が、これがケータイじゃないのは今回の演出における最大の失敗であろう、あのチョロン!という間抜けな音が静まり返った劇場に響きわたるのを想像するだけでたまらない。要するに、すべっちゃっているのである。しかし、それはそれでよいのだ。これまで明らかにムダにただならぬ空気を吐き出し続けていたコーチが、ここではマヌケなオチ担当である。演出家は言っているのだ、騙されるな、深淵?いいえ、ケフィアです。と。