ニコニコ超会議&超パーティー



 ニコ動でキャッチーな説教をすることで有名なQ-CHAN牧師(初老)がニコ生ブースにいて、ニコニコ神社を指さしながら「あの神社の神様って誰だか知ってますか!?ユーザーだって言うんですね。でも本当の神様はユーザーじゃないんですね、皆さんは本当の神様を知らないといけないんです。アメー ンッ!!!」って言ってました。

 小さなブースから身を乗り出して訴える彼の本当の神様はきっと本当にいて、信じる人の心の支えになっているんだと思います。そして、それと同時に、たくさんの神様が超会議の中にはありました。ニコニコ神社で「これからも二人で幸せにすごせますように」とか何万人の前で言っちゃってるカップルの神様も、ライブでアマチュアの歌手に「マジ神!!マジ神!!」と興奮している高校生の神様も、超パーティーでQちゃんとニアミスしてた蝉丸Pの神様(仏様)も、ちゃんといて、それぞれがいろんな神様仏様を信じています。中には神様じゃなく自分が日本を変えると思ってる枝野大臣もいるし、神様なんて頭の片隅にも残っていない芸術家や社会学者や文学者もそこにはいて、彼らは彼らでちゃんと信じる世界をその場に描き出していました。「ネットもリアルも関係ない、生まれたときからあるんだ よ!」と早口でまくし立てるドワンゴ会長の川上量生の描く世界もちゃんとそこにあって、でもそれは他の人が信じる世界と一緒にごたまぜになってニコニコ動画の中に入っていました。

 「祭り」が中の人からも外の人からもキーワードとして語られています。祭りっていうのは、みんなで同じ場所に集まって同じものを見て同じことをする、それが非日常の空間を作り出す、そういうもの。でも、超会議に来ている人はみんな同じものなんて見ていない。そこに集められているのは、なんでこれが全部同じ場所に集められてるのかわからないような多種多様、雑多で脈絡のないもの。たとえば、、、アイドルマスターから新憲法草案まで。

たとえば、、、

 痛車コーナーから入って、一番奥はボーカロイド同人誌即売会
 人工衛星はやぶさの脇を田原総一朗が通り過ぎる。
 765プロの事務所の脇を枝野官房長官が通り過ぎる。
 ニコニコ神社でリアル結婚式。その横をビリー・ヘリントンが通り過ぎる。(これはみられなかったけど。)
 脳波で動く猫耳が大人気。帰りの電車でパンクファッションのおっさんが付けてて、ステキだなと思いました。
 プロのアーティストがコンサートしてる横で同人グッズのノミの市みたいなとこでバイオリン弾いてる人。
 おばあちゃんのグループが来てたりする(どういうクラスタなのかは知らない)。
 会場を歩いていたら脇をかすめて駆け抜けていった月火ちゃんをあとで見つけたら男の娘だった(たぶん)。
 本物の陸上自衛隊の装甲車の前でストパンコスの人が撮影会。
 なぜか少しセクシーな棋士のによる多面打ち。その横では村上隆の弟子?がドローイング。
 プロとアマがごちゃ混ぜの超パーティー。


 じゃあ、なんでニコニコ超会議は祭りなのか。

 ニコ動のアカウントをとったのは(γ)になった頃でした。その頃は流行ってる動画はだいたいチェックしてて、動画の数も人の集まり方もそれが可能なぐらいでした。そこではみんながおんなじ動画を見て騒いでる、って感じで、まさに祭り(ネット用語の祭りもそこには頻繁に存在した)。そのあとはすごい勢いで人も動画も増えて、どんどん感覚が変わって行きました。今人気が出る動画って、1週間ぐらいで100万再生とかいくでしょう?みっくみくにしてあげるが100万行ったとき、どれぐらいかかったか覚えてないけど、なんかものすごい大イベントだったんです。最近は流行りを全部チェックすることなんか不可能に近くて、それどころか何が流行ってるのかすらよくわからないし、流行のスピード感も格段に上がってきました。流行りには関係ないコンテンツも膨大に蓄積されて、なんでもある、っていうのが真実味を帯びるほどになってきています。

 例えば列の隣の超会議にきている人同士で自分の好きなニコ動のコンテンツの話をしても、ほとんどの場合、同じものを見てるなんてことはなくって、すぐには理解しあえないと思うんです。自分は超パーティーでアイマスクラスタの少なさに身をもってそれを知ったのですw。もともとおたくと称する人同士で話していても少し指向が違うだけで話が合わないなんてことはザラにあるわけです。なんで話が合わないかっていうと、おんなじアニメを見てないとかゲームをプレイしてないとか、そういうことが問題なのではない。だってもともと人は同じものなんて見ていないんだから。たいていみんなバラバラ、だからたまに同じものを見ることが「祭り」になるのです。ニコニコ動画に多種多様なものが集まっている状態は別に特殊な状態ではなくて、人が増えてより普通の社会に近くなってきたということ。じゃあどうして隣の人と話が合わない、理解しあえないなんていう事態が生じるのか、それは、隣の人と話したいから、理解し合いたいから、ですよね。

 ニコ動は、隣の人、同じものを見てる人を気づかせてくれるんです。あるとき偶然出会った動画に、それを見た人はコメントを残して去っていく。あとから来た人は普通なら前に来た人とは出会わない。けれども残されたコメントは動画のタイムラインにあわせて、つまり、人がみているその瞬間に合わせて流れてくる。それはあたかも本当に多くの人が自分と同時にその作品を見ているかのような感じがする。自分以外の人はその動画を偶然見つけたかもしれないし、そのジャンルに精通しているかもしれないし、釣られて間違って来ちゃっただけかもしれない。その程度のつながりをシステムの力でちょっと見えるようにしてあげたら、あっという間にみんなで 「おっくせんまんおっくせんまん!」とかやるようになった。

 超会議は、ニコニコ動画のだいたい全部を集めたそうで、入場整理の運営の不手際まで集めてくれたみたいなので、本当に多様で、どう考えてもそう簡単には理解し合えない人達が集まっていました。でも、東浩紀目的で来た人も加藤一二三目当てで来た人も、やよい家のもやしを食べるかもしれない。ボーマスで同人音楽に目覚めてしまうかもしれない。すごく希薄な関係性を少しだけ見えるようにしてあげる。ウェブサービス上でやっていることをリアルに再現、が今回のテーマでしたが、現実は少し難しいからそう簡単に「愛してるうううううううううううう」の弾幕みたいにはならないけれど、 ゆるやかにその場の人を結びつけることには成功していたという点ではニコニコ動画の再現に成功したのではないでしょうか。

 その結びつけ方が今の感覚に合ってる、というか、これからの社会の感覚に合ってる。だからこそ心地いい。この心地よさがそこに集まる人達に一体感を与える。ここがニコニコ動画、超会議が祭りとされる強い要素になっているのではないかと思うのです。


 さて、話は変わり、
 夜のライブイベント、ニコニコ超パーティーは隣のイベントホールで開催されました。超パーティーも入場までに大行列で、開演が遅れた。もうわざとなんじゃないかと。そのせいもあって進行が押して、まさかのアンコールなし。これは、ダメですよ。観客もパフォーマーももっと尊敬してステージは作らなければいけない。運営が裏方に徹する気がさらさらないのは面白くていいんだけど、やることやってからだろうが(真剣)。

 誰も求めていない新機能発表会から始まった。大会議に何回も出ている自分ですら「今日もやるのか!」と思ったので、それじゃなくても開演が遅れてるあげく、ひろゆきと夏野氏のぐだぐだプレゼンじゃ場もしらけるというもの。それが結構長い。このプレゼン、スティーブ・ジョブズのあれと正反対である。まず2人でやるっていうのが違う。もう全部違う。

 いよいよライブは広瀬香美のゲッダンから始まった。始まった途端、さすがさすがグダグダな空気が一変した。この後もプロのアーティストは空気を変える場所に配置されてうまく使われてた。アイマスも。アイマスについては前記事で書いたので省略、楽しかった。アウェーだったって言う人もいるみたいだけど、そうは感じなかった。盛り上がってたけど、アイマスを知らない人がたくさんいた。演出的にプロが優遇されてる感じはなかったし、観客の盛り上がり方も特に差はなかった。っていうか、イケメンの踊ってみた集団とかの方が盛り上がってたかも。たしかに、ちょっとかっこいいと思ってしまった。あれ、プロじゃないのかな。あとは、白いふわふわのスカートでクラシックっぽいダンスを踊る人とかよかった。最後はJAMと(アマチュアの)出演者みんな。MOTTO!MOTTO!もう死ぬかと思った。

 5億の赤字。来年はやらないらしい。このイベントにイベントそのもの以上になにか意味があるなんてことは思ってないけれど、自分はけっこう本気でニコニコ動画とその界隈に生じた銀河系は21世紀を動かす力になっていくと思っているところがある。ウッドストックフェスと比べてみたりしてみたけど反応はいまいちだったw(震災後!とかやれば受けただろうかw)。そんな感じなので、ニコニコ動画のキーとなるイベントに立ち会えたのはうれしいし興奮した。実際参加して、確かに他にはない場所という感じはして目新しい感じは受けたけど、なにか格別に感動して、特別な経験をして帰ってきたという感じではない。でも、50年後参加したことを誰かに自慢したい。

 写真は超パーティの最後に客席に投げ込まれた出演者のサイン入りのボール。目の前の人がゲットして、超興奮してたw。やまだん氏のサインを撮らせてもらいました。ありがとうございました。