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ジブリ・イニシエーション 2 ー『サカサマのパテマ』世界をつなぐ鍵としての「塔=穴」ー

1からのつづき

ここから『サカサマのパテマ』 ネタバレ注意、かも。

 「ジブリ・イニシエーション」作品は普遍的な物語を目指し、作品の意図を幅広い人々に伝えるために作られたものでした。今度はこの形式を採って作家が伝えたかったメッセージについて考えたいのですが、今回は『サカサマのパテマ』に限って話を進めていきます。(『フラクタル』についてはその創作プロセスから見てもかなり濃いので、機会とやる気があるときに述べてみたいと思っています。)

 まずは物語の構図を再確認しておきましょう。エイジはパテマと出会い、地下集落の住人達と共にアイガと戦い、打ち勝ちます。そしてラストシーン、ふたりは手をつなぎ、誰も踏みしめたことのない大地にふたりで歩み出していく。このように前項で述べた「ラピュタの三角形」をきれいになぞっていることがわかります。では、図では「?」とした『パテマ』における異世界をつなぐ「鍵」とはなんでしょうか。

 候補として、ラゴスからパテマへ、パテマからエイジへと手渡される「サカサマの砂時計」はこのモチーフにふさわしいかもしれません。サカサマ世界の象徴としてのそれは、エイジとパテマの心が通じ合ったとき、つまりふたりの世界が互いに溶け合ったときに壊れて中の真っ赤な砂が流れ出ます。「サカサマの砂時計」はラゴスとパテマ、パテマとエイジそれぞれ絆の象徴としての役割を果たしているといえます。しかし、これはパテマがエイジの世界(=アイガ)に落ちてきた結果としてサカサマの象徴になり得たもので、一種のアクセサリーに過ぎないともいえます。ラピュタの存在の核心であり「バルス」のエネルギーの源である飛行石や、フラクタルシステムの存亡を握るフリュネとネッサ(ふたりは世界の鍵と呼ばれる)、アガルタへの扉を開くクラビスのように、積極的に世界をつなぐ役割を果たすことはありません。もっと物語に深く関わる重要な役割を果たすアイテムはないかと考えたとき、『パテマ』にはこれらの小物とはスケールが大きく異なりはするものの、世界をつなぐ役割を果たす明確な象徴が登場することに思い当たります。それが管理センターと呼ばれる高い「塔」と、その下に深く続く「縦穴」です。

 『パテマ』の第一のテーマである「サカサマであること」はパテマとエイジが足場のない不安定な少年期にいることを空間的に表現しています。劇中では何度も「空に落ちる」ことへの不安が描かれ、それが精神的によりどころのないことの象徴であることは、イザムラが空に落ちそうになるパテマを自分にしがみつかせ彼女を精神的に支配しようとするシーンや、物語のクライマックスにおけるエイジの独白からも読み取れます。そして、ふたりはお互いへの深い信頼を築くことでそれを克服していきます(「エイジとなら平気っ!」)。そんなふたりの成長の起点となるのがふたつのサカサマの世界をつなぐ「塔=穴」です。先に見たように他の作品において異世界をつなぐ「鍵」は小さな石であることが多いのですが(『フラクタル』のネッサもブローチに格納されていました)、『パテマ』においてそれは世界を物理的につなぐ巨大な「塔=穴」となっています。この点に注目し、作品に込められた作家のメッセージについて考えます。

 『パテマ』はラピュタの三角形をきれいになぞりながら、複線としてそこから逸脱する物語が描かれます。ラゴスとエイジの父、エイイチの物語です。このふたりはパテマがエイジに出会うより早く、つまりラピュタの三角形における鍵が異世界をつなぐよりも早く出会い、理想を共有することで絆を深めていきます。アイガに旅立つラゴスが繰り返し描かれていることからも、「鍵」はパテマの前にまずラゴスであったといえます。そして、悲劇に終わるふたりの物語はパテマとエイジの関係のパラレルとして、新しい世代のハッピーエンドへの布石として描かれています。つまり、パテマとエイジの恋愛のパラレルとして描かれているのです。エイジがパテマと空に落ち、たどり着いた「天井」で発見するエイイチの日記は、その文とそれを読むことで深まっていくパテマとエイジの絆がロマンチックに描かれることによって、ラゴスとエイジの父が同性愛の関係にあったことを暗示しています。ここで描かれるふたりの関係はサカサマ故の倒錯した愛ではなく、パテマとエイジの愛に通じる、サカサマを乗り越えた愛といえるでしょう。

 「ラピュタの三角形」には、それがオイディプスを原型とするために、父ー母ー子の三角形とその前提となる異性愛主義を欠かすことが出来ません。『パテマ』においても主人公ふたりについてはその構図が維持されていますが、この家族の基本構造をなす三角形の頂点を結ぶ線が揺らいでいます。エイジの心の成長について、彼の血縁上の父はエイイチですが、マクロコスモスとしての異世界と通じる冒険の中での父=殺すべき存在の役割はイザムラが担います。その権威主義的な性格は管理センターの高くそびえる塔=ファロスに象徴されています。しかし、その塔は同時に内部に地下深く掘られ、地下世界へと通じる穴としての役割を果たしているものでした。この「塔=穴」こそが本作のオイディプス的な構造を揺るがす大きな役割を果たしています。すでに述べたラゴスとエイイチの関係はこの「塔=穴」によって実現したものでした。ふたりの同性愛をつなぐ「塔=穴」は、「ラピュタの三角形」の異性愛的でファロス的な「塔=鍵」の象徴を同時に「穴」を内包させることで脱構築します。「塔=穴」はラゴスとエイイチの男根であると同時に肛門であり、そのリバーシブルな関係(「サカサマなのはお互い様だろ」)が支配するもの/されるものとしての、アイガ/地下集落の関係を無意味化していきます。そして、その意志はパテマとエイジに受け継がれていき、物語の主線に接続されます。オイディプスという「大地」を失ったふたりは、足場のない不安、恐怖を感じながら生きなければなりません。しかし、正解のない世界(アイガの学校での授業と対照的、また地下集落の「掟」とも対照的です)でふたりの場所を求め続けた結果、アイガでも地下集落でもない第3の大地、父/母による抑圧のない広大な大地を切り開きます。ラピュタの三角形はオイディプスの構造を持つ故に多くの人の心に響く物語の型となり得たのでした。しかしそれは「すべての」人が持つ普遍的な物語ではないことを『パテマ』は主張しています。すべての人の幸せな暮らしは、全体主義的な管理社会でも、封建的な家族型社会でも実現できず、全く新しい第3の地平が必要であるという主張です。

 この物語は、作品を俯瞰したときに、『ラピュタ』の持つ物語の普遍性への挑戦にもなっています。本作はこの第3の地平がどのような形であるかまでは示してくれず、誰の手にもかかっていないまっさらな大地が現れて終わってしまいます。しかし、『パテマ』が導入した「塔=穴」のモチーフ、ラゴスとエイイチの物語は、「ラピュタの三角形」の普遍的プロットという神話に対する批判であり、挑戦になっています。『サカサマのパテマ』による「ジブリ・イニシエーション」を経て吉浦康裕が切り開こうとしているのは、ジブリを超えた普遍的なアニメーション表現の地平といえるのです。
 
 「ジブリ・イニシエーション」にあたる作品はおそらく作家の主張が強すぎるために、いまいち受けが悪いのも事実です。それでもこれらの作品の重要性は、作家のその後の作品を見てもわかるでしょう。『星を追う子ども』の後の『言の葉の庭』はやはり幅広い人に向けた作品となっていて、これは新海誠の最高傑作(主観)ですし、『フラクタル』の後小規模の作品が続いていた山本寛は、満を持してのアイドルもの、『Wake Up, Girls!』です。これも作家なりの普遍性、ヤマカン特有の時代性への鋭い感覚を捉えた作品となるでしょう。吉浦康裕の次回作も決まっているそうで、期待に胸がふくらみます。