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だんご三兄弟♪

一番上は瀕死♪
一番下は重傷♪
あいだに挟まれ重体♪

というわけで、ドラマ『コードブルー』(1/25放送)を見たのです。
テーマはトリアージ
この10年でこの言葉は市民権を得たと思いますが、まだ完全に普及したとは言い難い。
今回の話は、すごく視覚的かつドラマティックにトリアージを描いています。


 今のテレビドラマの視聴率を考えれば、あらすじを説明しないのは不親切です。

 ドクターヘリが主軸のドラマですが、郊外の駅で将棋倒しかなんかで大勢の負傷者が出たため、お医者さん達が出動します。階段の下には三人の若い男女がスキー板で串刺し(!)に、要するに「だんご3兄弟」状態です。この3人が一緒に旅行に来た知り合いだっていうのがミソで、この1番だんごと3番だんごは付き合っているのですが、3番だんごはホントは2番だんごのことが好きなんですね。で、どうも2番だんごと浮気してて、それを3番だんごは隠したまま3人で旅行に行くようにしむけたらしい。ということが、串刺し状態の非常時に明らかになるのです。

 身体も串刺しなのに、心も串刺しの1番だんご。なのにさらに悲劇がたたみかけます。その悲劇がトリアージトリアージ(triage)とは、負傷者が多数いる現場で効率的な救助活動をするために、治療の優先順位を治療と搬送の前に判断するものです。で、今回はその判断がこの3人に与えられるわけですが、それが最初の歌詞の通り。1番だんごはスキー板で動脈が止血されているので現状は一番元気なんだけど、スキー板を抜いたり動かしたりすると大出血して助かるのは難しい。2番だんごは頭部に出血があって重傷なんだけど、速やかに搬送して手術を受ければ助かる。3番だんごはけがはそんなに重くないけど、長時間2人の下敷きになっていて、その負担がそろそろ限界。

 というわけで、1番だんごの負担よりも2番と3番の速やかな搬送を優先して、スキー板を切断することに。ここまで書いていてふと気づいたんだけど、ここでスキー板を切断する必然性ってそれほど無い。もっと1番に優しく、2番と3番から引き抜けばいい。どうやら切った後、2番と3番は別々に搬送された、つまり両方かもしくはどちらかはスキー板を抜いたわけであるから。そしたらもしかしたら、というかそれは最善の判断なのか?という疑問をよそに、ドラマ的には絶対に切断する必要があるのである。なぜなら3人をつないでいた串は1番だんごと2番だんごの間で切断されるのであるから。1番だんごは医者から状況を告げられ、意識のない2番と泣き叫ぶ3番を眠そうな目で見ながら自分の死を許可するのです。

 これは生と死の選別であり(まさにトリアージ)、そしてパーソナルな3人の関係においての選別にもなっている。2番だんごと3番だんごは串でつながっているのです。電気のこぎり的なものが乱暴にスキー板を切断し、そこを1番だんごの血が容赦なくつたい、流れ落ちる。あとの二人は病院に送られ、一人残された1番だんごはまもなく息を引き取ります。このむなしさはそのまま、医療従事者が常に感じているやりきれなさとして、このドラマを通底するテーマになっているのですが、それはそれとして1番だんごのヒロイズムはなかなか感動的でした。

 これについて書こうと思ったのは、もうひとつ思いつきがありまして、"triage"が"tri-age"だと思っていたので、だんご三兄弟の上から順に重傷っていう画が、とてもいいなあと思ったからなんですけど、実際のトリアージは4段階で、しかも"triage"は"trier"「選別する」というフランス語から来ているという。それはおそらく"tero"(ラテン語)からのようで、"tri-"は関係ないらしい。じゃあ、トリアージじゃなくて「トリアージュ」じゃんよ、とか考えてたらあんまり安易に語源でものを語るのはよくないと反省してしまった。でも、このドラマの脚本家は同じ着想でこのシーンを描いたのではないか、と推測してみるのだけどどうだろうか。

 この、ちょっと笑っちゃうぐらいの荒唐無稽なシチュエーション、いろいろ穴がありそうなストーリー展開、でも、だからこそメッセージが伝わってくることもあるわけで、テレビドラマの脚本としては秀逸なのではないか。最近の(救急)医療系ドラマは相当『ER』の影響を受けているけれども、この阿呆船的、オムニバス的なドラマ構造の中で、主題を添えることと手法についてばっちり考えてある今回の作品は、茶化しているのではなく、いいものだと思う。