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ミュシャ展

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すごかった。超スペクタクル。

 商業作家が民族主義に目覚めて芸術の新たな価値に気付き、壮大な作品制作に余生を捧げた、っていう展覧会の隣で、自国の作家を商業主義的に徹底的に食い尽くす展覧会をやってるのはひどい皮肉な状況を感じた。

 見に来た人にシールを配って、みんなで水玉の部屋を作りましょう!っていうのにはもはや苦笑しかない。

 あと、プラハ市立美術館は2012年からスラブ叙事詩の公開をしているそうだけど、明らかに目玉の展示であるこの作品を公開から5年で早々に全点貸し出すっていうのは、よほどお金がないのか。作品保護は大丈夫なのかと不安になった。

 ほぼ草間彌生展ディス(草間彌生ディスではない)になったけど、日本の作家でお土産売り場がごった返すほど大もうけして、それをチェコの貧しい美術館に還元し、貴重なコレクションの保護に貢献出来るのだとすると、国立美術館も捨てたもんじゃないなと思った。

 あと、スラブ叙事詩については時代性を意識しないとすごーいで終わっちゃう。ロシア革命を背景に、歴史を描いたということ。

「夜明け前 知られざる日本写真開拓史 総集編」他 @東京都写真美術館

「夜明け前 知られざる日本写真開拓史 総集編」

 今回は学芸員のギャラリートークがあるというので平日の昼間から恵比寿に。学芸員のミツイさんはイケイケな広告代理店風の男性。トークも軽快。

 この美術館の収蔵品展というかいつも3階でやってる企画展は、写真の歴史や技術についてなど、毎回とても教育的に優れていて勉強になるのでなるべく見るようにしている。初心者からマニアまで、撮るのが好きな人にも観るのが好きな人にもオススメできる。

 というわけで今回は、日本の初期写真の特集なんだけど、とてもコンセプトが明快で、しかもギャラリートーク付きなのでますます勉強になる。写真の彩色の方法とかはじめて知った。内田九一による明治天皇皇后の写真があって、有名なキヨッソーネの肖像との関係が気になった。

 

「山崎博 計画と偶然」

 延々と水平線の写真が並ぶ。実験的なビデオアートもあったり、かなり個展にしては物量があった。戦闘機をどアップで撮った写真が面白かったかな。

 

「APAアワード2017」

 広告写真。ポカリスエットの写真とかね。

 ほとんど関係ないけど、今年の世界報道写真展の大賞は「あの」ロシア大使がトルコで暗殺されたときの写真が取ったらしい。あの写真は見た瞬間、「あ、これは取るな」と思った。写真の力をまざまざと感じた1枚だった。

 広告写真は、どこまでが写真なのか、よくわからないレベルで加工されてたりする。それはそれで面白いんだけど、ストレートにそれを見せられたとき、なにを評価したら良いのか困惑する。

レオナ・ウェストのアイデンティティ描写について真剣に考えてほしい

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「あるがままですっ!」

 

(ネタバレします。)

 『劇場版プリパラみ~んなでかがやけ!キラリン スターライブ!』(ひびきのコース)を見た。

 ライブシーンてんこ盛りの本編はそれはもう、かわいいの大洪水で、終始ニヤニヤしながら観てた、、、のだけど、ラストシーンでレオナの今後の描写についてすごく不安になったので、映画の感想というよりもそれについて書きたい。

 

 映画の最後の最後で、新シリーズの予告っぽいシーンが流れる。バイクに乗っためが兄ぃとレオナが夜の裏通りで待ち合わせて、それぞれ着ていたライダースーツの胸元のジッパーを一気におろす。その下は素肌で、、、「覚悟は出来てるよ」、レオナは言う。そこで、新シリーズで登場する「男子プリパラ」にレオナが参加することがほのめかされる。

 

 レオナは、男の子なのにプリパラに入ることが出来る「プリパラの神がゆるした」アイドルとして描かれてきた。レオナがはじめて男の子だとわかるのは登場間もない1期18話。その時点ですでに子ども向けアニメの登場人物としては異例だったけれど、ドロシーとのミラーツイン(対照的な双子)としての性質が強調されている上に、女の子にしか入れないはずのプリパラに何の障壁もなく入れていたこともあって、性別も双子の性質の一部として、それ以上の意味については想像の域を出なかった。

 そこから大きく展開したのがTVアニメ2期74話。この回でレオナと『プリパラ』は子ども向けアニメとして、あるいは現代のストーリーテリングとして、画期的な一歩を踏み出すことになる。

 強力なライバルとして王子様風の男性のルックスで登場した紫京院ひびきが、実は男装の麗人を演じている女性であることが判明する。74話では、それが大スクープとしてプリパラ界隈が大騒ぎになる中、ひびきに関心を寄せたレオナが、すでにスターだったひびきが出演する舞台の現場に忍び込み、自身の抱える疑問をぶつける。

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 この回では最初から、周囲が興味本位でひびきの女装をもてはやす中、レオナがひびきの男装について真剣な関心を抱いていることが描かれる。レオナはひびきと対面して早々、「どうして男の人の格好をしているんですか?」とストレートに疑問を投げかける。それに対しひびきは、舞台上で疑問に答えると言って、レオナを舞台のけいこの相手役に指名する。

 衣装のドレスに着替えたレオナは、セリフになぞらえて再び同じ疑問をひびきに投げかける。それにひびきは「しょせんこの世は嘘とまやかし、どこに問題がある?」と応えたあと、「君はどうなんだい?」と聞き返す。そこではじめてレオナは、ひびきに対して抱えていた疑問が、そのまま男の子なのに女の子の格好をする自分自身に対して抱いていた疑問なのだと気付く。そして、台本を投げ捨て自分の言葉で「あるがままですっ!」と力強く宣言する。

 このストーリーを画期的といわないことが出来るだろうか。レオナにとってプリパラで女の子の格好をすることは、それが自分の「あるがまま」だから。レオナの性のアイデンティティについての悩みとその確立の物語が、つまりトランスジェンダーの子どものアイデンティティの問題がはっきりとテーマになっている。

 このテーマを正面から描こうとしたスタッフの真剣さは、比較として別の性を「演じる」キャラクターであるひびきを配置する念の入れようからもわかる。また、一連のやりとりのあとのレオナのセリフ「私とひびきさん、似てるのかなって思ったけど、違うところもあるみたい」は性の多様性への理解が垣間見える。ふたりがカナダ出身(今回の劇場版では「パンクーパー」といっていた)という忘れかけられた設定も、この回のためだったのかと勘ぐってしまう。そして「あるがまま」というのが、放映当時『アナと雪の女王』の「ありのままで」を想起せずにはいられなかったことも、このテーマを描く上で意識されているに違いない。

 この回以降、レオナはまたプリパラで女の子として活躍していく。しかし、それ以前の双子の片割れとしての彼女とは少し違って映る。はじめはドロシーの意向に従ってしか行動できなかった内気なレオナは、だんだんと自分を表に出していくようになる。そして所属するユニット「ドレッシングパフェ」の中で、時には他のふたりを強引に引っ張っていく意志の強さを持つキャラクターに成長していく様子が描かれていく。レオナが多くの友達とともに、「あるがまま」の自分を発揮しながら成長していく様子は、この74話があるからこそ感動的に見える。

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 そんな感じでしばらく安心して見ていたTVシリーズ、それが3期130話で再びレオナの内面に(突然)焦点が当てられる。

 これまで主人公らぁらが中心となって育ててきたプリパラの女神ジュリィが、育ててきた甲斐あって元の女神の姿を取り戻し、妹ジャニスに女神の座を譲って消えることになる。別れを惜しむジュリィがアイドルひとりひとりに別れの言葉をかける中で、レオナに対して「レオナ、一生守る人が決まっているなんて、あなたは幸せな子ね。」と言葉を贈る。レオナは微笑んで「はい!」と答える。

 この別れのシーンは感動的なシーンなだけでなく、そこにいた全員が神アイドルを目指すという目標に向かって決意を新たにする重要なシーンなのだが、このレオナへの言葉はその唐突な印象から一部の間で物議を醸した。

 レオナが「一生守る人」、それまでこれといって大きな伏線がなかった(と思われる)からには、ドロシー以外には考えにくい。はじめは守られる立場だったレオナが、やんちゃなドロシーを守る側になるまでに成長した、その証・承認としての女神からの言葉とすれば理解はできる。それでもやはり、双子とはいえ兄弟姉妹を「一生守る」と中学生が「女神」から宿命付けられるのは重すぎるのではないか。また、レオナはすべてを理解し納得した上で返事をしているように見える。レオナの中で一生守る人がすでに決まっているというのはこれからの物語にどういう意味をもたらすのか。疑問は見る人に投げかけられたまま、シリーズは今まさにクライマックスを迎えている。

 そこにきて冒頭の劇場版のシーンを見せられたのだから不安にならずにはいられない。自分はこれまでレオナが自分の性に向き合い、プリパラがそれに対して素直になれる場所として描かれてきたことに満足して、つまりレオナが自分らしくいられることだけで満足してしまっていたのではないか。そのせいで、それ以上のレオナの個性や、大切にしていること/もの、将来についての願望などが十分に描かれてこなかったことに気付けていななかったのではないか、とも思えてくる。レオナには他のアイドル達と同じように、自身の個性を活かすことで夢を叶えていって欲しい。そのときのレオナの個性とは?夢とは?あらためて考えるとこれまでのストーリーから答えを導くのは難しい。

 身体は男の子でありながら女の子として生きることを選んだレオナが、素晴らしい友達に囲まれて幸せに成長していく様子は、いわゆる「優しい世界」であって、これからもレオナについて描くのであれば、中学生のレオナが成長の過程で向き合っていかなくてはいけない様々なことが避けられないテーマになってくる。だから必ずしも、レオナが「男子プリパラ」に参加することが悪いとは思わない。けれど、74話があったからこそ、レオナが自分の性にどう向き合っていくのかについて丁寧に描いて欲しい。これはもう個人的な希望でしかないけれど、このことは作品全体に通底する「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」につながる大事なテーマだと思う。

東京都美術館 ティツィアーノとヴェネツィア派展

意図せず2週間連続で上野の東京都美術館へ。

 

最近あんまり見に行かなくなってしまっていたルネサンス絵画。

聖母子とか、神話とか、テーマごとに並べてある構成。

『ダナエ』がやっぱりというかきれいだった。

 

混んでるだろうと思って午前中に行って正解だったと思う。

となりでやってた盆栽展が気になったけど、入場料高くて入るのやめた。

 

ティツィアーノって英語でTitianなの、勉強した。

国立新美術館 『19th DOMANI・明日展』ほか

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写真は、入場無料の特別展示、エマニュエル・ムホー「NACT Colors」。

なかなかのスペクタクルで、みんなすっごい写真撮ってたw。

 

DOMANI・明日展は、文化庁の芸術家の海外派遣制度の成果展として。

折笠良のクレイアニメは見入った。

今井智己は、戦前・戦中の写真の集成。最近このような歴史的な写真を再発見・展示するコンセプトの作品を見る機会が多いように思う。

藝大出身の多いこと。前日には藝大の卒業制作展に行ったんだけど、やっぱり素人目にも目を引くものはあって、中には在学中からすでに有名な人もいる。その中から公費で海外留学できる人がいたり、芸術家も競争が激しいんだなあと思う。

ライブミュージカル「プリパラ」み~んなにとどけ!プリズム☆ボイス2017

1/29(日)11:00〜 @Zeppブルーシアター六本木

 

 基本的には去年の再演、だった。終わったあと、ノンシュガーのミニライブがあるので(だからチケットを買ったのだ)、本編にも少しは出て来るのかと思ったらまったく出てこなかった。

 

 去年の公演のことはあんまり覚えてないけど、客席がすごく賑やかになった気がした。楽しかった。ちっちゃい女の子も少数ながらいて、うちわ持ってキャーキャー言ってる子もいれば、片肘ついて真剣なまなざしでじっとステージを見ている子もいて面白かった。子どもが見てるので、青いめがにぃがらぁらのおしりを結構乱暴にけっとばしたりする演出が気になった。というか、普通にらぁら蹴らないでよ。

 

 通路沿いの席だったんだけど、その通路をみれぃとらぁらが通ってくれて、おとなしく見てたんだけど、そのときはどうしても上がってしまって「みれぃ!!!みれぃ!!!」とか叫んでしまった。めっちゃ上がったw。このほか、芹澤優さんのダンスのキレに主に注目してみていた。歌も盛りだくさんで満足だった。

 

 ノンシュガーはかわいかった。みにゃみはぴったりの役だと思った。WUGとi☆Ris は仲悪いのか、とちょっと感じたような。。。

「ゲンロン憲法」読んでみた

素人が暇に任せて憲法について考えてみた

 日本国憲法がこのままではしょうもない勢い任せで変わってしまうといううっすらとした不安を背景に、どんな憲法になったらいいのか考えてみたくなった。

 思考の土台として、『日本2.0 思想地図β vol.3』(ゲンロン、2012)所収の「新日本国憲法ゲンロン草案」(以下「ゲンロン憲法」)を用いた。これを参照した理由としては、現行憲法にとらわれることなく現代にふさわしい憲法のあり方を示したものとして興味深いこと、また基本的な理念と多くの各論において共感を覚えたこと、および、現在の国政での議論の方向性とは別のベクトルを示す改正案として重要だと考えたことによる。

 「新日本国憲法ゲンロン草案」については、下記から全文を参照できる。

genron.blogos.com

 なお、『日本2.0 思想地図β vol.3』には改正案についてのコメンタール・原作者による討議記録が付されており、各条文の意図の理解には欠かせないものとなっているため、適宜書籍も参考にされたい。なお、条数は特記がない限り「ゲンロン憲法」のもの、ページ数は『日本2.0 思想地図β vol.3』に準じている。

「ゲンロン憲法」の概要

 この改憲草案は「フローとしての日本とストックとしての日本の両立」を謳い(p104)、前文に「法治主義、平和主義、繁栄主義、開放主義」の4つを宣言する(p194)。そして、この理念に従って統治機構の大胆な変更が提案される。変更には、天皇の地位の規定の見直し、首相公選制の導入、各議院の役割の変更とそれに伴う外国人参政権の導入などが含まれる。

 全体に通底する「フローとストック」の理念の表れとして、国政に参加する者を「国民」と「住民」に分けるという概念が導入される。「国民(=ストック)」は「日本国籍を有する者」、「住民(=フロー)」は「法律で定める期間、日本国土に適法に継続的に居住する者」と規定される(16-17条)。住民には日本国籍を持たない者が含まれるが、国民と同様の権利が憲法によって保障される(71条ほか)。

 ほか、大きな変更点を書き出す。

  • 天皇) 天皇は「日本国の伝統と文化の継承者」(1条2項)とされ、象徴としての位置付けが強化される。
  • (行政) 直接選挙によって選ばれた「総理」を行政の最終責任者(10条)として大きな権限を付与する。これにより、総理は「統治権の行使において、国会より優越」する(p146)。議会との関係はアメリカの大統領制に近づく。
  • (立法) 二院制は維持するものの、両院の差が明確な「住民院」と「国民院」に再編される。
  • (立法) 国民から選ばれる「住民院」は、「日本住民を代表すべ」きとされ(42条1項)、住民として認められた外国人への選挙権の付与が想定される。被選挙権は「成人たる日本国民」。「国民院」に対して大きく優越する。
  • (立法) 「国民院」は、総理、住民院、官僚機構の監視役としての有識者集団となることが想定され、(驚くべきことに)少なくとも憲法上は世界中の誰もが議員になる可能性を持つ議会である。被選挙権の要件は「法律によって定め」るとされている(42条2項)。こちらは国民による選挙によって選出される(同)。
  • (現行憲法9条) 平和主義と戦争放棄という現行憲法の理念を維持する(前文、18条)一方、自衛隊の位置付けを憲法に明記する(20条)。自衛隊は国民および住民の「自然災害と人的災害に対して(中略)自衛ならびに相互援助する権利」(19条)を達するため設立されるとされ(20条1項)る一方、「国際相互援助の精神に則り(中略)国外においても活動しうる」(同2項)とされる。
  • 地方自治) 現在の市町村に相当する「基礎自治体」を憲法で定める。国民と住民が統治の運営を委託する(23条)行政主体として規定され、ボトムアップ型による地方自治が期待され、道州制の導入を含めた国から地方への権限委譲が想定されている。
  • (人権) 基本的人権は「国民および住民に与えられる」(71条)。また、「国際人権規約に定める人権の享有を妨げられない」(同)とされる。死刑廃止や公務員の労働三権付与などが想定されていると考えられる(コメンタールに具体的な言及はない)。人権の規定が納められる「第二部」については、権利の追加は出来るが削除できない(99条1-2項)。

 なお、実際には変更は全体にわたっており、憲法の変更において「大きな」「重要な」といった重み付けは意味がないとも思われるので、本エントリにおいて論点を絞るものと理解されたい。

想定される論点

 これからも日本が繁栄を続けるため、国際社会に開かれた国を目指すことが強く打ち出されている。日本から世界へ、世界から日本へ、人の相互の出入りを活発にするために導入される「フローとストック」の概念は、新規性がありながら説得力がある。

 また、現行憲法が70年間改正されなかった主因である「9条問題」の解決について、現実に即しながら、実効性をもって平和主義の理念を憲法に残すことに挑んでいる。平和主義・戦争放棄を再定義し未来に投射する白田秀彰によるコメンタールは感動的ですらあり(p152-154)、現行憲法9条に対する21世紀からの回答としてぜひ多くの人に読まれるべきである。

 だが実際には、変更の範囲が憲法のほぼ全体にわたり、国の統治機構に加わる変更が非常に大きいことから、もしこれがそのまま改正案として国民に投げかけられれば、全方位から激しい批判にさらされることは想像に難くない。ここでは、ひとりの国民として、もし「ゲンロン憲法」が国民投票にかけられたら困ってしまう(総論は賛成なのに不安が残る)点について書いていきたい。

 

1.国民院と住民院の仕組み

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 二院制の見直しについては、考え方が新しすぎる上、基本的にわかりやすい条文のつくりが意図されていると思われる「ゲンロン憲法」において、数少ない複雑な変更点を持つ。また、外国人参政権をおそらく世界でも例を見ないレベルで認める内容は争点となりやすく、「よくわからないけど危なそう」という印象は理念を訴える点で不利に働きやすいだろう。

 上図はp169より引用した、国会の仕組みを説明する図である。わかりにくくしているのは、この図に示される「国民と住民のたすきがけ」(p195)の仕組みである。住民院は「住民を代表する(選挙権)ものだが、国民から選ばれる(被選挙権)」。住民院にいるのは、住民ではなくて国民になる。「国民」と「住民」という分離がそもそもまったく新しい概念な上、さらにその相互の選挙権と被選挙権が交わっている。

 さらに、である。国民院はこの逆で、「国民を代表する(選挙権)ものだが、住民から選ばれる(被選挙権)」ことになるかと思いきや、違うのだ。国民院の被選挙権は在日外国人を含む「住民」よりさらに広く、法律の条件を満たす世界中の人に与えられる。海外に居住する外国人が海外在住のまま職務に就くことすら想定されており、具体的には退任後のオバマプーチンなどといった外国の首脳の名前が可能性としてあげられている(p172)。

 これは境真良自身が言うように「ラディカルでアグレッシブ」(p171)だ、あまりに。国民院を官僚機構と渡り合い、総理と住民院の監視機能を果たす有識者集団にすることを企図したものだということだが、多くの有権者はそこまでたどり着かないだろう。

2.「総理」と「住民院」の優越=ストックの優越?

 「フローとストック」の概念の導入の目的は、日本の継続的な繁栄のために、「ヒトとカネとモノの奔流がかつてない速度で国境を越える時代」(p104)に適合した制度を作ることにあった。これは「フロー」をいわば優遇することによって、外国人の出入りだけでなく、経済活動全体の活性化を要請する主旨のものだろう。

 従ってこの主旨において、例えば税制として、フローへの課税(所得税法人税など)を下げ、ストックへの課税(相続税や固定資産税など)を強化するなどの施策が考えられる。こういった政策をとって行くにあたり、「国民」からなる総理と住民院が、国民院に対して強い優越を持つことにより、「国民(=ストック)」が既得権の保守に走り、日本全体の成長を阻害する方向に舵を取る可能性はないだろうか。

 また、この延長線として、「住民」という新たな階級が導入されたことによって、逆に「国民」が権利の保守・拡張に走った結果、「国民」の対象者が限定されていく、いわば貴族になってしまう(例えば少数民族を疎外していく、といった)懸念があるのではないか。これを防ぐために憲法に国民の要件をある程度定める必要があるのではないだろうか。

3.自衛隊の国外活動

 18-20条は現行憲法9条に当たり、おそらくもっとも注目度の高い部分になる。

 19条で「国民および住民は(中略)自衛ならびに相互援助する権利を有する」とされている。これは普通に読めば、国民および住民同士の相互援助を認めたものと読める。そして20条1項では、この権利の目的を達するため自衛隊を設立するとされている。

 しかし、20条2項は「国際相互援助の精神に則り(中略)国外においても活動しうる」とされ、自衛隊の国外活動を認めている。これは集団的自衛権を認める条文とも読めるが、18条〜20条1項との関連が不明瞭である。19条の「相互援助」が世界各国との相互援助も指すのであろうか。そうでないならば、住民は在日外国人も含むので、利害関係がある国で有事があった際に、日本が介入したいが為に実質的に有事とはまったく関係がない当該国の国籍を持つ「日本住民」が根拠にされるというような、新たな「解釈改憲」の余地を残す。これでは近年における現行9条の二の舞である。

4.基礎自治体の運用

 地方自治の理念が現行憲法・法にないという問題意識から、23-27条が新たに作られたという(p157-159)。主体的な地方自治を目指す理念は重要である。一方で、この条文を机上の空論にしないためには、もう少し具体的な地方自治のあり方の規定が必要ではないだろうか。

 もちろん、ボトムアップ型の地方自治という理念の実現において、国が事細かに内容を定めては本末転倒である。しかし、現在の地方行政、まして市町村議会の統治能力に現実的にどれだけ期待して良いのかという不安がある。会見場で泣き叫ぶ県議会議員は極端な例だと信じたいが、これまでの国民の地方議会への関心の低さもあいまって、レベルが相当に低い自治体がかなりの数あることが想定されるのではないか。

 憲法改正後、実際の運用で無理をきたし、結局なにも変わらなかったということでは残念すぎる。大阪都構想などの例をみるまでもなく、地方自治改革の社会的要請は強く、実効性のある改正が求められる。条文に入れるかはともかく、なにかガイドラインが必要となるのは間違いない。

5.国際人権規約

 71条で基本的人権は「国際人権規約に定める人権」と限定されている。これは、「国際人権規約が国際的に承認されている人権の一覧であり、普遍的な内容を備えているから」(p185)とされる。基本的人権の根拠を憲法の外に求める事の是非はおいておくとして、依拠する国際人権規約が将来にわたって普遍的な人権の一覧であり続けるかどうかは検討の余地があるのではないだろうか。

 国際秩序が流動化する昨今、米中間の新冷戦やEUの崩壊などが現実的な懸念となっている。その中で、国際人権規約の母体である国連の権威が将来にわたって、世界中の国にとって、信頼に足るものであるかは不透明ではないだろうか。基本的人権は国民(および住民)が主体的に獲得した権利として、憲法の内に根拠を求めるのが本来の形ではないかと思う。

6.国家による自由

 この改憲案への批判として、「社会権」の認識が不十分との指摘を見つけた。

「新日本国憲法ゲンロン草案」はオママゴトのように感じる - murrielzブログ

 「国民および住民から国家へ与える制約である憲法」(p188)という立憲主義の性格を押し出す意図が、現行憲法24条にあたる条文を削除することへの説明に用いられている(現行24条は「婚姻および両性の平等」。削除は婚姻平等に道を開くことになる)。たしかに、この反面として、国家によって積極的に認められる人権(教育を受ける権利、労働基本権など)についての条文が弱くなっているといえる(85-86条)。これは地方自治の拡大などと合わせて、国家の役割を縮小する目的で意図されているものとも思われるが、全体として人権に重きを置いた内容になっているのであるから、主旨を変えずに改善を施す余地があるかもしれない。

 

 まずは以上としたい。

 このほか情報技術の導入や、プライバシーの権利の追加の論理など、見るべきところは多い。通読すれば誰もがどこかに引っかかりそうに思う。上記の指摘の内容にまったく専門性がないこと、また修正の提案がないことはご容赦いただきたい。憲法はすべての国民が理解できるものでなくてはいけないと東浩紀は繰り返し主張している。素人の意見として見ていただければと思う。

最後に

 上記は、この改憲案が全体もしくは各部として法的な強度を持ち合わせているかといった、もっとも重要と思われる点について判断する能力を持ち合わせないため、素人の感想の域を出ないものであることは残念だが承知している。

 ただ、憲法改正の議論が国会で続いており、今年中にも改正案が発議されるかもしれない。国会での議論は、現行憲法および様々な点で問題が多いとされる自民党草案以外に議論の土台がなく、各党がそれに乗って賛同/批判をする各論先行型で実に心許ない。異なる方向性を示す役割が期待される民進党は、改憲案を示さないばかりか、憲法改正の議論を避けているようにさえみえる。議論を忌避することによる護憲という段階から一歩踏み出し、建設的な憲法改正の議論の中で、変える/変えないことの正当性を議論していかなければ、議論が尽くされないまま重大な問題を抱えた改正案が国民投票という博打に賭けられる事態も十分に考えられる。

 国政での議論がこのような状況にあって、どれほど意味があるかは別として、なにか自分の考えを示したいという考えに至った。「素人の議論」が盛り上がることによって、憲法改正に多様な方向性があることに気付く人が増え、結果として改正の議論に拡がりが出て行けば、それは悪いことではない。本エントリはその一端になれればと思う。